弔いなのか、文句なのか

 

久しぶりに自分のなかのどす黒い、出しちゃいけないものが出たので書いておく。

 

 

 

きっかけは三浦春馬が亡くなったこと。

自死を選ぶような人と思えなかったからビックリした。そしてネットニュースを見たら事細かに亡くなったときの状況が書いてあった。

 

それを読んだのがだめだった。

 

個人的には自死を選ぶことはダメと思わないし、やろうとした側なので「もったいない」「なんで?」「どうにか出来なかったのか」と思わないんだけど、やり方がな~。

自死の方法の中じゃ、いちばん遺体の見た目が良くないらしい。し、目を向けられないほどらしい。

 

三浦春馬の写真見たらその場所見ちゃうし、発見者に同情しちゃうし、意識飛ぶまで苦しかっただろうなって思っちゃってどんどん泥沼に沈んだ。

今は平気。

 

 

自死の理由もきっかけも知らなくていいから、どうか三浦春馬の生き様をマスコミ含めメディアが決め付けないで。

どんな理由があって死んでもそれは人生のなかであったことにしか過ぎなくて、その人の人生のタイトルにはならない。

 

死者を良いように言って、その人生を塗り潰さないでほしい。

 

親しい人たちの中に生きる三浦春馬

ファンの中に生きる三浦春馬

 

それぞれ違うと思うけどそれはその人の三浦春馬で、三浦春馬アミューズが作ったパブリックイメージだからいいの。

でもマスコミが作ったイメージは三浦春馬アミューズが意図しないものだと思うからやめて。死者を愚弄しないで。

 

 

わたし、何かしらで死んだり殺されたりしたら絶対に名前と顔はもちろん性別年齢すべて出してほしくないから三浦春馬に対する報道内容とかマジで地雷。

 

この世にいないから人権無視していいのかと言ったら別だと思うので、死者でも生者と同じように扱うべきだと思う。

 

 

 

 

 

キラキラと輝いてる三浦春馬をもっと見たかった。

キンキーブーツ見たかった。

 

 

 

どうかどうか、三浦春馬が亡くなる瞬間まで幸せで後悔がなければいいと思う。

 

死を選んだことを後悔していなければ、わたしは何も言うことはない。

 

天国では何一つ不自由が無ければいい。

三浦春馬を縛っていたものが無ければいい。

三浦春馬がやりたいことをやりたいだけやれていればいい。

 

 

 

 

もし来世があるなら、転生があるなら

今の3倍以上はうーんと幸せに長く生きてほしいな。

 

 

 

どうか安らかな眠りを。